(絶体絶命のピンチ!社長の一言に涙)
会社に戻り、取締役社長室長に入院の報告を行いました。「入院!」「君は大学で健康診断は受けて来なかったのか?」と、室長は問い詰めるようなトーンで尋ねました。私は状況を説明し、「受けましたけど、半年以上前でした」と答えました。その後、室長からのやや厳しい言葉に、どうしようもないトホホな気分に包まれました。
外出から戻った社長が扉を半分開けて、「戻ったぞ」と低い声で告げると、瞬時に緊張が走りました。廊下から聞こえるやり取りが、ますます状況を緊迫させているようでした。室長が私の入院を社長に報告する場面で、私は自分の運命を嘆いていました。首になるのは覚悟しました。学生時代の過去の行動や、何かしらの因縁が、これを引き起こしたのか、自分を責める気持ちが湧いてきました。しかし、どれだけ後悔しても、過去を変えることはできません。
そんな中、社長が室長室に入って来ると、部屋に静寂が広がりました。「折角、縁があって入社した大事な新入社員だ、面倒を見てあげなさい!」と、社長は力強く声をかけてくださいました。そして私に向かって、「君は何も気にすることはない、しっかり病気を治して戻って来なさい!」と温かい言葉を掛けてくれました。
その瞬間、私の心に涙が湧き上がりました。「ドドドド〜」という音と共に、涙が頬を伝ってこぼれ落ちました。社長の温かい言葉と、励ましに満ちた気持ちが、私の心に深く響きました。感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。そして、私は強い決意を抱きました。病気を克服し、健康を取り戻したら、必ず復帰し、会社に貢献したいと。涙を拭いて、心からの感謝の意を込めて、頭を深々と下げました。その誓いは、私の中で確固たるものとなりました。
(初任給を病院のベッドの上ででいただくなんて、、、)
診断結果は「肺結核」と判明し、会社の指定病院である港区に位置する北里研究所病院に即刻入院することになりました。退院までの5ヶ月、私は病院内で日々を過ごしました。
その間、配属先は経理部となりました。身体を気遣っての人事の配慮だったのでしょう。初任給を、病院のベッドで給料袋を受け取るという非日常的な光景に、胸が熱くなりました。ピン札で12枚1万円札が入っていました。経理部の課長さんがわざわざ届けてくれたのです。入院中、簿記を少し勉強すれば役立つというアドバイスを受け、早速本を手に入れて勉強を始めました。わずかな時間でしたが、3級程度の知識を身に着けることができました。この知識が、後に会計業務を行う上で大いに役立つことになるとは、その時はまだ想像もしていませんでした。
入院生活を通じて、将来のことを考える時間が増えました。人生は予測不可能な出来事で満ちており、何事も前向きな姿勢で受け入れて生きることの重要性を実感しました。その結果、「心のコップを上に向けて」という考え方の大切さを認識するようになりました。
※注 「心のコップを上に向けて」の表現は、私の心のメンターである原田隆史先生のYUTUBE「朝刊原田先生」のクレド「#030 心のコップを上に向けて」より引用致しました。是非、真の意味をリンクよりご賞味下さい。
初任給から退院するまでの半年間、給料袋の封を開けることなく、全額を親父に渡しました。自動車レースでの借金を少しだけでも返済できることにほっと胸をなでおろしました。入院中も、母は1日も休むことなくお見舞いに駆けつけてくれました。その温かな支えに触れながら、家族の大切さを改めて感じていました。
そして、8月末に退院の日が訪れました。10月から新入社員として出勤し、心も体もリフレッシュした状態でスタートすることを決意しました。10月1日、早朝に出社し、思い立ったことを実行してみることにしました。
やってみたら、予想外の反響が待っていました。
タオルバカ一代 ②(半年遅れの新入社員)完
(タオルバカ一代(配属)③ に続く)