タオルバカ1代 (百貨店以外のビジネスチャンスを伺う】㉔

(中国の国内販売をBU別ビジネスで考えてみた)

 中国の百貨店での販売は素晴らしい成長をとげていましたので、この知名度を生かさない手はないと考えていました。

 日本で分類した第2統括のBU(ビジネスユニット)をまず中国に当てはめて見ると、「量販店」「専門店」は、小売という分類で第1統括の管轄とし、「ギフト(礼品)」「OEM」を第2統括として分類することにしました。第2統括が成長する鍵は、第1統括が築いた知名度を活用することが重要でしたが、同時に、日本のキャラクターブランド(漫画の人気はすごかった)の可能性や、中国の広大な市場を考え、WEB販売による成長の可能性を感じていました。

(ギフトマーケットの可能性)

 中国の礼品市場はかなり期待出来ると感じていました。さらに百貨店で培った企業ブランドの知名度を最大限に活かせると考え、このBUで売上を拡大していくことを第一優先にして行きました。

 深圳で開催される礼品マーケットの最大規模の展示会に参加し、化粧箱に詰めたタオルをデビューさせ、その反応を確認しました。日本で売れているギフトの中から厳選し、「タオルと入浴剤などを入れたハチミツ柄のギフト」「和風の花柄デザインをガーゼ面にプリントしたギフト」「有名キャラクターのギフト」を並べてみました。

 意外にも、この礼品マーケットに百貨店で培ったUブランドの知名度は思ったより少なかったことです。ただし、上海にある自社工場で生産していること、その商品が多くの百貨店で販売されていることを伝えると違った反応がありました。

 初めての展示会では、全国各地から訪れた礼品会社のバイヤーと名刺を交換し、情報を共有し合い、相手の意見や要望を聞くことができ、非常に貴重な経験となりました。。

 反省点としては、商品の紹介はもちろんですが、それ以外にも工場の紹介を前面に出す冊子の準備が不足していたことでした。

(上海万博で販売した日本キャラクター『G』を全国展開していく)

 中国人が日本のアニメに熱中していることは、広く知られていました。

 私が上海に赴任した直後、上海で開催された万博で、日本館には有名な日本のキャラクターショップが設置されました。映画で知られるキャラクターブランド『G』のタオルは、日本では他の企業がライセンス契約して販売していましたが、弊社は中国での販売権を取得し、タオルの企画と製造、販売に取り組みました。万博会場での販売はまずまずの成功でしたが、それを発展させて全国の百貨店を通じて拡大していきました。

 これは第1統括の売上に貢献しましたが、企画と生産の段階で私も関与しました。上海万博では『J』キャラクターの社長も来場し、夕食会に招待されました。そこで、上海でキャラクタービジネスを経営するユニークな上海人の社長さん(総経理)を紹介され、彼との出会いが新たなビジネスの可能性を広げるきっかけとなりました。

(日本キャラクタービジネス専門の中国資本の会社)

 この会社の総経理であるSさんは、日本語がペラペラで、根っからの上海人でした。以前は日本のおもちゃ会社「B」に勤務し、独立して今の会社を設立していました。彼は日本のキャラクターの権利を取得し、中国の国営放送(CCTV)で全国放映されるテレビ番組の製作も手がけるなど、凄腕のビジネスマンでした。特に驚いたのは、「小桜子」という漫画が全国で放映されていたことです。主人公の声優には、オーディションで日本の声優とそっくりの人物を起用し、中国でありながら全く違和感のない制作に感心しました。私はS総経理の手腕に魅了され、中国でのビジネスのノウハウを学ぶべく、彼のもとに日々訪問し、いろいろな学びを得ました。

 キャラクタービジネスは、ブームを巧みに生かすことが成功の鍵でなく、安定した販売が見込めるコンテンツを見つけ出すことが重要だという洞察を得ました。例えば、「小桜子」は日本の日曜日の夕食時刻に何十年も続けて放映されており、これが成功の要因でした。もう一つ注目すべきは、「Uマン」でした。アニメではないものの、何十年もの間、日本のテレビや映画で高い人気を誇るコンテンツで、日本の映画も輸入して放映していました。中国への日本映画の輸入には高い障壁があり、厳しい検閲を経て許可される映画は1年間にわずか3本だけでした。放映の許可が出たのは、「一休さん」と「時代劇」と「Uマン」しかないことを知りました。北京の役人さんとの交渉や、上海人と北京人の違いなど、S総経理から聞く話は全て新鮮で興味深いものばかりでした。

 S総経理からは、中国でタオルを製造する権利を破格の条件で与えていただけることになり、私は一つ返事で契約することを決断しました。そして、「小桜子」「Uマン」「上海女孩」という3つのブランドと契約を結びました。特に「上海女孩」というブランドには独自のユニークな要素があり、これは次の機会でお話したいと思います。

(OEMBUについて)

 上海市内でも頻繁に開催される展示会には、予算の許す限り積極的に参加するよう努めていました。ある日、上海の展示会の1階で、日本の自動車会社「M菱」さんが車を展示していました。同じく日本人同士ということで気軽に挨拶に伺い、副総経理が親しく応対してくれました。そこで、新技術の印刷方法であるインクジェットを使用した小ロットのタオル製作が可能であることを提案すると、興味を示していただき、早速新車のキャンペーン用にタオルをご発注いただきました。

 この経験から、日系企業に限らず、OEMのタオルには日本と変わらず需要があることを実感しました。展示会に出展することで、徐々に会社の知名度を上げ、その地道な努力が売上に変わっていく過程を体験することができました

(WEB販売の可能性)

 百貨店の知名度を最大限に活用し、WEBでの販売に進出することは、合理的な戦略であると感じていました。試験的にある企業のWEBサイトに弊社の商品を掲載してもらいましたが、売上はそれほど大きくありませんでしたが、着実に商品が動いている様子に満足していました。

 ある時、上海の展示会ブースに20代の若者2名が現れ、『御社の商品をWEBで販売したいので、取引して欲しい』と直談判してきました。彼らが会社を訪れ、まだ新しいがWEB販売を通じて成長したいとの熱意を伝えてきたので、全額前金の買取取引で商品を提供する条件を提示しました。若者たちはこれに問題ないと応じ、取引を始める条件は揃いました。

 WEBビジネスに深い興味を抱いていた私は、彼らの事業計画に魅力を感じ、既存の取引先と競合させたところ、この若者達は反則ギリギリの手法を駆使して圧倒的な勝利を収め、独占権を獲得しました。後で話を聞くと、競合他社の担当者は激怒していたそうで、この一件は中国人の手段を選ばないやりかたが、とても印象に残るエピソードとなりました。

(スポーツブランドビジネスの可能性)

 私が上海に赴任した頃の中国では、まだ市場に偽物が出回っていた時期で、そんな中で世界的に有名なスポーツブランド「N」の中国販売権を手に入れていました。アメリカ本社は、タオルを含むアクセサリー類のカテゴリーにあまり興味を示さず、そのライセンス管理を代理店に委ねていました。

 中国国内には「Nショップ」が2000店以上存在し、提携しているスポーツショップを含めると約5000店に及ぶと予測されていました。スポーツタオルをこれらの店舗に導入することを熱望し、商談を繰り返しましたが、なかなか前に進みませんでした。しかし、当社の上海工場が「N」社のタオルを製造できる世界でたった3つの工場の1つである利点を活かし、スポーツ専門の展示会にも参加してアピールしました。

 残念ながら中国販売においては、高い壁を乗り越えることは簡単ではありませんでしたが、日本に輸出したスポーツ専門店向けのタオルは「CR社」を通じて、スポーツバッグとともに販売を開始し、順調に売上を伸ばしていきました。

(日系企業の優しさ)

 日系企業の中で、商談において一番懐深く接してくれたのは、下着メーカーの『W社』でした。快く窓口を引き受けてくれたI統括部長は、当社のタオルやバスローブをキャンペーンで積極的に活用し、そのおかげで大変ありがたい経験をさせていただきました。第一統括では全国の販売店舗情報を共有させていただき、細かく意見を交換するなど、彼らの懐の深さを感じるやり取りが続きました。

 同様に、M商事社にも大変お世話になり、グループ内の企業に対してもタオルの斡旋をしていただきました。特にアパレル専門の子会社の総経理であるT社長との関係は深く、わざわざ社長室に通していただき、ご自慢のお部屋で商談させていただきました。お話によると、社長室から見える景色は、世界にある数多くのグループ会社の中でも3本指にはいるものと教えていただきました。ある時は、ゴルフコンペにも誘っていただき、一緒にプレーさせていただきました。また、魔法瓶で有名な「Z社」も深圳の展示会で大きなブースを出展されていて、訪問して見ると、気軽に意見交換が出来る仲になりました。上海の地下鉄に出している広告の申し込み方法や価格なども教えてもらえました。展示会後も交流が続き、Z社の商品に魅了される弊社の中国スタッフへの特別な割引価格で商品を提供していただき、お返しにご希望のタオルを割引で販売し友好関係を深めました。

 日本では上場企業との親交は難しいと感じることがありますが、異国の地での連帯感や戦友意識が、現地に駐在する者だけが味わえるものであると感じました。

少しづつ中国、上海にも慣れてきて、本格的に数字作りに奔走するようになっていきます。

(続く)

タオルバカ1代 (百貨店以外のビジネスチャンスを伺う)㉔ (完)

タオルバカ一代(中国のマーケティングは碁盤の目だった)㉕

タオルバカ一代(目次)に戻る