タオルバカ一代(人事異動)⑥

(入社8年目、30歳の節目)

 経理部に在籍して8年目になり、当時は年功序列が強く、大卒は入社5年目で主任、8年目で係長に自動昇格する仕組みが存在していました。自分は事実上課長のような仕事をこなしていると自負していたので、この昇格にはあまり喜びを感じず、正直なところ仕事もマンネリ気味に感じていました。

 この先のサラリーマン人生を考えた際、私の頭には3つの将来像が浮かびました。一つ目は、経理にとどまり専門性を高め、経理部長の地位を目指すこと。二つ目は、営業か企画といった別の部署に異動して、社内で新たな挑戦に取り組むこと。三つ目は、会社を離れて自ら新しい会社を立ち上げ、異なる道を進んでいくことを考えていました。30歳の節目の年に差し掛かり、バブル景気が全盛である時期に、新入社員時代に誓った言葉もすっかり忘れ、甘い野望を膨らませていました。こんな折、友人が独立して新しい会社を設立することになり、その新会社の財務の手伝いをする機会が訪れていました。サラリーマンの職を離れて、経営陣として関与する可能性も心に芽生えていました。

(新会社の経営計画は通らず、退職を断念)

 将来への夢はますます膨らみ、友人の設立する新会社に転職することを決意し、会社の上層部に勇気を出して相談して行きました。課長、部長は了解してくれましたが、元大手商社マンだった常務は心配してくれて、会社に留まるよう説得されました。それでも自分の決意は固く、社長に退職の意思を伝えるために社長室の扉をノックしましたが、在席のはずの社長は不在で、意志を伝えることが出来ませんでした。一旦席へ戻ると再び常務に呼び出され、この無謀な計画は受け入れられない。本当に退職したいなら、経営計画書を見て判断すると言われてしまいます。その後、何度も計画書を持参して説明しても納得してもらえず、自分の心にも不安が大きく広がって行きました。ベンチャー起業への情熱は高まっていましたが、少しずつその情熱も鎮まって行きました。友人とも相談し、私はU社に残る事で一旦の収束を見ました。

 今振り返ってみると、もし社長室の扉を叩いた時に社長が不在でなかったら、私の運命は違った軌道を辿っていたのかもしれません。これも大いなる何かに導かれたと感じずにはいられません。受付に尋ねたところ、社長はこの時間帯に在社していたとのことでした。

(人事異動発令、営業部へ異動)

 この出来事以降、人事異動に関する噂が耳に入ってきました。入社してから経理一筋で歩んできた私にとって営業経験は皆無でしたが、持ち前のやる気と明るさは営業部門でその存在が知れ渡っていました。社内結婚が多い会社で、経理部の女性と営業部の男性がカップルとなることもしばしばありました。結婚式には、スピーチを頼まれることも多く、社内結婚の恋愛エピソードを考えては笑いを誘っていました。社長夫妻が仲人、営業部長が主賓を務める結婚式が多かったため、その点でも好感を持たれたのかもしれません。同族経営の良いところが発揮されており、当時は家族のような温かい雰囲気を持った会社と感じていました。

 とうとう人事異動が発表され、私は当時大きな売上を誇る部署に配属されました。銀座のMデパートを担当することになり、年間売上予算が1億円と聞き驚きました。この小さな売場でどのようにしてタオルで年間1億円の売上を達成するのか、全く見当がつきませんでした。一体何枚売れば1億円になるのでしょうか?その疑問に頭を悩ませていました。

 営業のノウハウも全く知識のなかった私を、隣の席に座ったアメリカンフットボール部所属のT君が助けてくれました。彼のアドバイスとサポートには本当に感謝しています。アメリカンフットボールが結んだ不思議な縁のおかげで、私は少しずつ営業の世界に足を踏み入れて行きました。

 アメリカンフットボール部の設立について少し触れて見たいと思います。

(アメリカンフットボール部の設立)

 会社内には、学生時代アメリカンフットボール部に所属していた人が多くいて、彼らが中心となって会社内でのアメリカンフットボールチームの立ち上げと社会人リーグへの参加の機運が高まっていました。当時私は経理部に在籍していた事もあり、予算交渉の責任者に任命されました。会社には、すでにテニス部や野球部などが活動しており、その中でも強豪としての地位を築いていました。会社は、スポーツに対しては寛容ではあったとは言え、アメリカンフットボール部の設立には、他部の10倍以上予算がかかると試算していました。

 担当常務へ稟議書を書き、キャプテンと共に交渉に出向きました。稟議書には次のような内容を記載しました。「アメリカンフットーボールは、頑健な体力、柔軟な頭脳、そしてチームワークが必要なスポーツです。アメリカンフットボールを通して、若い社員の絆を深め、会社の業績向上に貢献します。」

 情熱的な説明が通じ、結果としてチームは設立され、社会人リーグにも登録することが出来ました。私自身は代議員として参加し、裏方の仕事に徹しようと考えていましたが、体育会出身のメンバーから裏方専任は許さぬと、私もプレーヤーとして選手登録されてしまいました。そのような経緯もあってか、部員のみんなとは非常に良好な関係が築かれていました。

 このアメリカンフットボール部はその後社会人リーグで優勝するほどの力をつけた素晴らしいチームになっていきました。

 アメリカンフットボール部設立と営業部への異動、そしてT君との出会いは、運命を感じるものでした。

 いよいよ、私のタオルビジネスのスタートです!

タオルバカ一代(人事異動)⑥ 完

タオルバカ一代(営業デビュー)⑦ へ続く)

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