タオルバカ一代(上海へ赴任、作るところから売るところへ)㉓

(病院で知らされた上海行き)

 手術を無事終え、麻酔も冷め、新しい朝を迎えました。目を開けると社長が立っているのが目に入りました。病室ではいつもの雷は落ちませんでしたが、お見舞いに来てくれたようで、その心遣いに感謝しました。少しだけ会話を交わした後、社長から執行役員の降格と来期の人事異動で上海への転勤が告げられました。決算日まで数日しかなく、これが人事異動の内示であることに気付きました。

 私はこの下期の極悪な数字について謝罪し、上海への転勤の提案を受け入れました。今期はリーマンショックの影響があったとは言え、再三の極悪な予算修正が続いて信頼関係は大きく損なわれていました。心の中ではもはや会社にとどまることが難しいと感じていました。責任をとって退職するべきか悩んでいる最中、上海への異動の話が舞い込んできました。

 最後に社長は、「梅津、上海でもう1回第2統括で一からやり直し、借りを返せ!」と告げました。もう1回のチャンスに感謝し、体の回復を最優先にすることを決めました。

(中国は作るところから売るところへ)

 1996年に上海工場が稼働した当時、社長が寄せた新聞記事が話題となりました。その記事では、工場を上海に建設する理由について、社長は日本とのアクセスが良いことや将来的に中国での販売展開において「上海」が有望なブランドになるとのコメントを述べました。当時はそのコメントの真意が理解できませんでしたが、その予言通り、上海は中国全体の経済の中心となり、その発展は驚くべきものとなりました。

 創業から10数年が経過し、中国全土に代理店を通じて有名百貨店のタオル売場に約200店舗を展開し、さらに日本でデザインした斬新な直営店を約50店舗展開し、売上も好調で、日本企業として数少ない「勝ち組」に属していました。ただし、百貨店以外の販売には手をつけられておらず、そのために私が日本の経験と川上の知識を活かすべく選ばれたのだと解釈していました。

(上海へ赴任、新しい仲間との出会い)

 体調も回復し、ついに上海赴任が確定しました。上海工場の営業部門に配属され、日本の組織をベースにして、百貨店を第1統括、百貨店以外を第2統括に分けた営業組織の第2統括部長に任命されました。第2統括部長の役割の中には、企画、生産も含まれていました。

 初めてのミーティングは工場で開催され、上海市内の事務所の営業部と工場の商品部全員が一堂に会し、自己紹介が行われました。第1統括のI部長は中国語がペラペラな日本人で、中国語で冗談を笑顔でやり取りする姿を見て、そのネイティブぶりにびっくりしていました。彼との出会いは頼もしいもので、今後の中国のビジネスについて学ぶ良い機会だと感じました。また、驚いたことに、営業部のほとんどが若手の女性で、やる気に満ちたオーラが伝わってきました。一人ひとりが自己紹介をし、真剣に顔と名前を一致させようとメモを取りながら覚えました。彼女たちは笑顔で挨拶してくれましたが、その中には、目の奥の輝きや言葉の隅々から、私がどんな日本人でどんなキャラクターの人物なのかを試されているような感じがしました。

 かつて田中角栄が若き日に大蔵大臣に就任した際、幹部全員の名前を苗字だけでなく、フルネームで呼び、奥さんの誕生日にお花を送って官僚を仲間に引き入れたエピソードが浮かびました。この手法の一部を取り入れ、会議後に市内で行われた歓迎会で20数人いるメンバーの名前を一人一人の目を見ながら、メモを見ずに順番にフルネームで呼んでみました。残念ながら1人だけ間違えてしまいましたが、ほぼ全員正解で、このパフォーマンスが意外にも受けて、笑顔とともに印象的なデビューができてホッとしました。

(上海工場総経理のスーさん)

 営業部は上海工場に所属しており、所属長は上海工場のS総経理でした。彼の愛称はスーさんで、国税局出身というこという、ユニークな経歴の持ち主でした。スーさんは東北出身で独特なアクセントがあり、どこから見ても好印象で、彼に対して悪い言葉を聞いたことはありませんでした。いつも笑顔で、髪型が73で少しポマードがかかり、黒縁のメガネ越しには非常に鋭い観察力を持つ方でした。多くの企業を監査してきた経験から、バランスシートを小説のように読み解いてくれることもありました。また、情報収集力も非常に高く、末端の社員の考えまで把握していました。

 上海に赴任される前は、取締役経理部長でしたが、経理部のある社員から上海に赴任する前の私に対して「スーさんはいつもニコニコして優しい人だけど、仕事に対しては厳しいよ。笑いながら人を切ることができるから気をつけた方がいいかも…」との忠告がありました。初めはピンと来ませんでしたが、ある日思い出す光景がありました。どうも私は東北弁に弱く、非常に優しい態度の人の勧誘で、その言葉を信じて入ったら、思いがけずぼったくられてしまったことがあったんです。しかし、ありがたい忠告も上海に来てからの日々で、毎晩のお酒を飲みながらの会話の中で、すっかり記憶から抜けていきました。

 スーさんのすごいところは、お酒をどれだけ飲んでも酔わないことです。あの中国の白酒(パイチュウ)を飲んでも平静を保てる数少ない日本人の一人でした。もう一つ、お酒が大好きで、365日飲まない日がなく、何十年もお酒が最も仲のいいお供だったようです。夕食時間になると、行きつけの日本料理屋に毎日足を運び、お酒と食事を楽しまれますが、必ずスーさんには一緒にいく仲間がいます。そして、必ずご馳走してくれます。日本にいるときも同じで、毎日メンバーが変わって何処かでお酒を飲んでいます。お酒を飲みながら面白そうなメンバーを見つけると、必ず誘って仲間に引き入れる姿勢がありました。この飲みニケーションこそが、最大の情報収集源だったのかもしれません。とにかく、懐の深い方で、地元の中国人政府にも多くの飲み友達が存在していました。

 話せばまだまだありますが、この辺にしておきます。

(上海工場で同期3羽ガラスが揃うご縁)

 同期入社で新入社員の研修会で気になった二人、四角い顔のテニス部出身のJ君は工場の副総経理として、もう一人、スキーの先生出身のO君は営業部第一統括として、既に上海に赴任していました。新入社員時代、本社で一緒に働き、飲んで、テニスして、スキーしていた仲間3人が海外で再び揃ったのは、とても奇遇でご縁を感じました。仕事中はそれぞれの役割が違ったので、お互いに協力し合うことはできませんでしたが、日本で培ってきた力を異国の地で発揮し、中国人社員とのコミュニケーションを取りながら仕事を進める姿勢は同じでした。

 私は、これまで主に工場との取引に携わってきた中国への出張で、国民性やコミュニケーションの取り方にはある程度の心得がありました。しかし、今回は初めてタオルの買い付けでなく販売することになり、これまで気にしなかった言葉の壁が心配でした。これに加え、英語と中国語のスキルが向上していないことに気づきました。

 英語については、小学1年生から4年生までの期間、父の仕事の関係で英国ロンドンに滞在した経験がありました。当時は英語が得意で、日本語が不得意な子供だったこともあり、勉強しなくてもある程度出来る英語の勉強を怠っていました。また、就職した後の10数年間も使わなかったことで、そのスキルを完全に失ってしまったと感じていました。

 しかし、これからの仕事には難しい局面が待ち構えていることを感じていました。中国語の勉強を始めるのかどうか悩みましたが、その時間を新規開拓の仕事に当てることを選択しました。優秀な通訳がいればなんとかなるだろうという思いが強く、優秀な通訳兼幹部候補を見つけることを決断しました。これが新たなスタートであり、これからのビジネスにおいて言葉の壁を克服する一歩となりました。

(売上ゼロからの出発)

 上海の第2統括は、日本人の女性(Tさん)と中国人の上海出身の女性(Nさん)2人のチームでしが、私が加わり3人からスタートしました。当初は売上がゼロに近かったので、まずは日系企業を訪れてヒアリングに専念しました。幸運なことに、Tさんはアフターファイブの交流で広い人脈を持っており、さまざまな日本人の知り合いがいました。そのつながりを活かし、現地企業のトップとの接触を果たし、これからの戦略を練ることにしました。

 ヒアリングを進めていく中で、中国には「礼品」として知られる、いわゆるギフトマーケットが存在することが分かりました。そこで、タオルをこのマーケットで販売してみるアイディアが浮かびました。深圳で巨大な展示会が行われている情報を得た際には、早速その展示会を訪れ、状況を確認してきました。

 展示会場は非常に広大で、おそらく東京ビッグサイトの倍以上の規模があると感じました。会場を隅々まで回りましたが、多くのタオルメーカーの展示ブースや当社が取引している工場も見受けられました。ただし、タオルを化粧箱に詰めてギフトとして展示しているブースは見当たりませんでした。

 日本で培ったギフト展開のノウハウやギフト製造における生産背景を活かしたビジネスは、急速に成長している中国国内で新たな商機が広がると考え、その可能性を探るため、次の展示会への出展を決意し、すぐに申し込みを行いました。

 今後、第2統括の売り上げを拡大するためには、日本での成功体験から得た「BU(ビジネスユニット)」のモデルを最低でも3つは構築したいとの考えがありました。その中で「礼品市場(ギフトマーケット)」は、我々の強みを最大限に発揮できる有望な市場と確信し、積極的に動くことにしました。

(続く)

タオルバカ一代(上海へ赴任、作るところから売るところへ)㉓ 完

タオルバカ一代(百貨店以外のビジネスチャンスを伺う)㉔ 続く

タオルバカ一代(目次)に戻る