タオルバカ一代(上司)⑤

(男だけの経理部)

 半年遅れの新社員として10月1日から経理部で仕事を開始しました。流石に、年内は残業もなく、おとなしく定時で帰宅する日々を送っていました。言い換えれば定時で帰宅することを許されていました。

 しかし,新年を迎えると共に、残業の時間も少しずつ増えて行きました。

 残業で遅くなり、女性社員が帰社した後、室が男だけになると社長室の神棚からお神酒をとり、茶碗で飲む習慣があることを知りました。部長は大酒飲みと噂では聞いていましたが、これまたびっくりお酒を飲むと昼間の静かで優しい人柄が一変するのです。いわゆる酒乱って呼ばれるタイプは、このことかぁ〜とちょっとびっくりポンでした。

 一方、課長はマイペースで飲んで、つまみは一切口にしない特異な飲み方をしていました。話題は仕事の話ばかりを繰り返し、いろいろな事を批判するのが楽しみのようでした。良く観察していると、課長は部長がいないと部長の悪口をたくさん言いますが、面と向かって言わない事に気付きました。

 部長は、高卒だったからかわかりませんが、課長をどこかバカにしているようなところがあり、お酒が入ると普段我慢していることをガンガン言ってしまうのです。面白い事に、大ゲンカ寸前で課長がいつも先に帰社します。そして次の朝、部長が課長に「昨日は悪い酒だった、ごめん」と謝るルーティンがこの部のコミュニケーションだと気が付きました。

 私自身、一体どちらに味方したらいいのかわからず、風に任せて両者と上手にお付き合いしていました。サラリーマンの飲み会を初めて経験し、病み上がりの身である私にとって、空腹に冷酒での会話は克服しなければならない社会的な学びになりました。翌日は、お腹がゴロゴロと音を立てるのを我慢するのは大変でした。

(部長か課長か、人間関係に悩む)

 部長はC大学法学部出身で、社会保険労務士を持つ秀才。さらに、社長とは大学時代からの同級生で経理を任されている方でした。昼間の部長は、本当に穏やかでニコニコしていて女性の受けも良い方でした。(お酒さえに飲まなければという条件つきで)

 一方、課長は物流から異動されてきた叩き上げで、実務を通じて出世されてきた方で、勉強家で知識がとても豊富で、一つ一つ丁寧に私に仕事を教えてくれました。仕事が終わった後、営業部長や役職者を紹介しながら良く飲みに連れて行ってくれましたが、いつも割り勘でした。

 経理の女性は、部長から誘われるとみんなついて行きますが、課長とは飲みたがらない傾向にありました。女性の心理は難しいですが、人間の性格や器を見抜く力が優れているのかもしれません。私は気がつけば、部長と飲む機会が増え、課長と飲む機会が減っていく事になっていました。

(人形町、焼き鳥屋事件)

 部長との武勇伝は数多くありましたが、特に記憶に残るエピソードがあります。近くに美味しい焼き鳥の店があり、会社の幹部たちがしばしばカウンターで非公式の「第2の役員会」を開いていました。

 お神酒を飲んだあと、何時ものように「ちょっとだけ」という約束でその焼き鳥屋に行きます。お店に着くのは大抵遅い時間で、一人また一人と焼鳥屋の役員会メンバーが立ち去り、最終的にお店のマスターとママ、そして部長と私の4人だけが残ります。

 この焼鳥屋さんのマスターは、まさに下町気質の人、ある客が入店早々にビールとお新香を注文すると、怒りを爆発させて「帰ってくれ、あんたに出す酒はねぇ〜」と突っ返してしまいました。理由を聞くと、「うちは焼き鳥屋だ!美味しい肴はたくさんある。お新香は最後に食うものだ、お新香だけ食いたければ他へ行け!」と。なるほどと納得した私は、どこの焼き鳥屋に入ってもお新香から注文しないように注意するようになりました。

 お酒が入ると、部長は戦争に行って機関銃を片手で射撃出来るほどの力があることを何度も自慢していました。その握力は半端ではなく、握手はもちろんのこと、腿(太もも)を握られると飛び上がるほどの痛みが走りました。飲んでいる間、いたずらな細い目をこちらに向け、握手を求められと酔いが一瞬覚めましたが、お酒が進むと酔いが痛みを和らげてくれるようになって行きました。

 そのうち、一升瓶をポーンと開ける音が響くと、『これからはもう金はいらねぇ、さぁ飲むぞ〜』と下町の焼鳥屋さんらしいマスターが宣言し、何の宴かわかりませんが、とにかく始まってしまいます。

 そのお酒の名前は、「賀茂鶴(かもつる)」と言って口当たりが滑らかで飲みやすいものでした。気がつくと外は既に明るくなり、私たちは店内で4人ごろ寝していました。私はタクシーで帰り、シャワーを浴びてすぐ出社しました。

 出社すると、部長は静かないつもの雰囲気に戻り、すでに仕事を始めている光景を良く見かけました。一切の乱れも感じさせない姿勢は、流石だと思いました。

 彼はまさに「昭和の男」であったと感じました。

(いつも泣いていたボーナスの日)

 結核による半年遅れで入社し、そのハンデを半年で取り返し、翌年には入社同期のメンバーたちと同じくらいのポジションにまで戻ってきていると感じていました。しかし、ある日のボーナス支給日にがっくりとした出来事が記憶に残っています。当時、ボーナスは3回支給され、決算に応じて支給されるボーナスは、部長クラスには封筒が立てられるほどの額が支給されていました。私は、同期の中で一番下だったのです。同期の誰よりも低くかったことが悔しくてたまりませんでした。半年も休職していたので当たり前のことなのに、そんな感情が浮かんできました。バカですよね。

 それから5年が経ち主任に、8年が経ち係長に自動昇格しますが、ボーナスは完全に是正されませんでしたが、ブスッと不機嫌にならず、イキイキ元気に日々黙々と仕事に取り組みました。その結果、周囲の人々が私の頑張りに気づいてくれていると感じてきました。私の成長を見てくれていると理解しました。

※注 「ブスッと不機嫌にならず、イキイキ元気に」の表現は、私の心のメンターである原田隆史先生のYUTUBE「朝刊原田先生」のクレド「#021 ブスッとしないでご機嫌に!」より、許可をいただき引用致しました。是非、真の意味をリンクよりご賞味下さい。

そして、30歳になる時に転機が訪れました。

タオルバカ一代(上司)⑤ 完

タオルバカ一代(人事異動)⑥ へ続く)

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