タオルバカ一代(言葉じゃない!知恵だ!)⑪

(B品率2%での生産開始、但し予期せぬ展開に)

 紡績工場から出来立てのタオル専用糸がタオル工場に運ばれて織機にかけられました。フル稼働までにそれほど時間はかかりませんでした。優れた技術者の指導により、現場のオペレーターは予想以上に素早く習熟し、1台づつ順調に稼働していきました。

 I先生は、いつしかちょび髭を生やすようになり、現場に溶け込んでいかれました。紡績工場から出来てくるタオルの糸質は優れており、最新鋭の機械を使用して生産されたタオルは品質が非常に良いと感じました。

 「品質、価格、納期」を強みに販売を進める計画でしたので、概ねこの計画はクリアしたように思えました。出来上がったタオルをロールにして今治へ送り、テストは合格しました。さあ、いよいよフル稼働の開始です。計画では、24時間、360日稼働する予定でした。計算してみるとタオルが約60万枚毎月生産可能な量でした。ただ一つ気にかかっていたのは、通常B品率の「2%」が発生すると、12,000枚のB品が輸入されることでした。

 タオルは反物の形で入荷するため、B品だけを切り出すことは出来ませんでした。そのため、織り上げた後にタオルに傷や汚れを発見したら、ヘムにB品マークをつけ、B品率を正確に把握するようにして、その枚数は請求から差し引く交渉をしました。B品数が増えた場合、工場の損失となるため、B品を減らす為の努力を怠ることができない仕組みにしました。生産を始めてみると、予想より低いB品率の約2%で推移していましたが、大きなタオルになるとB品率はそれを上回るものがありました。大型タオルの方がB品率が高いのは、主に織り傷によるものでした。

 原因を調査すると、糸が切れて織機を再稼働する際に発生することがほとんどで、人為的なミスによるものでした。I先生や管理職の技術者が現場にいるときは対処出来ましたが、夜中のシフトなどでの管理に頭を悩ませました。また、日本へ輸入後に新たな問題が浮上しました。

(今治の反応、「パキじゃけん」は、褒めている?けなしている?)

 パキスタン製の生地を輸入し、今治での生産が始まると、出来上がったタオルの品質は予想を上回り、一同驚きました。B品率の平均2%は、我々の計画通りであり、生地の品質の良さは期待を超えたものでした。ただし、毎月約1万枚ものB品が発生する問題に直面しました。今治の現場は、褒めてるのか貶しているのかわからない反応で、「パキじゃけん、上出来じゃ!」と言った声も聞こえてきました。それは、日本の工場のB品率と大きな差はなかったのです。

 今治での加工工程では、シャーリングと精練漂白、そしてプリントまでを反物状のまま行います。つまり、反物状につながっているタオルは、B品が繋がったまま加工をする必要があり、そのために全てのB品にこの加工賃がかかることが判明しました。生地代は交渉でゼロに出来ましたが、日本での加工賃はゼロにすることが出来ませんでした。この為、B品率を減少させることはコストダウンに直結する重要な作業となりました。そんな時、現場からは「パキじゃけん、B品はそう簡単に減らせんぞ!」という、厳しい声が聞こえてきました。

 大量生産は大きなコストダウンを可能にします。当時日本では24時間稼働可能な工場は存在しなかった為、3シフト(24時間)x360日の生産計画はコスト面で非常に魅力的でした。しかし、B品などの不良品が多く発生した場合、コスト削減にかけた苦労が水泡に帰すこともあるかもしれません。現場の責任を担う立場から、現地のI先生に心を鬼にしてB品率の削減を提言しなければなりませんでした。その時もまた現場から「パキじゃけん、いくらI先生でも難しいかもしれんぞ。」という声を聞きました。

 B品率の削減をお願いしに、再びI先生のいるパキスタンへ飛びました。過酷な環境の中、厳しいことは十分承知しながら相談しました。I先生からの返答は以下の通りでした。「今のB品率は、この国で生産する中で決して高くない。今治の生産現場からの意見も理解はしますが、海外での経験がないから好きなことは言えるのです。但し、そこまで要求するなら技術者としてのプライドにかけても実現させねばなりませんね。少し時間をください。」と述べたあと、彼はいつも1本しか飲まないパック酒を2本飲んで寝室へ戻りました。

(パック酒と缶詰をパンパンに入れたスーツケースは、40kgだった)

 私は今回の出張で、I先生への差し入れとして、スーツケース一杯にパック酒と缶詰を持参しました。飛行場の免税店でウィスキーを購入してカバンに隠してハンドキャリーに忍ばせましたが、税関で没収されてしまいました。このことを現地の紡績会社の社長に伝えると、彼からは、「今頃税関職員が、日本のウィスキーでパーティーしているよ!」と、からかわれました。

 その代わり、スーツケースに入れていたパック酒は無事に持ち込むことが出来ました。I先生からは、「命の水だからくれぐれも慎重に持ってきてくれ!」と言われていただけに、この差し入れが今回の出張の大きな目的と言って過言ではありませんでした。I先生は、とても偏食で、パキスタンでは、フライドチキン、フライドポテト、果物とピーナッツ以外を食べません。ひじき、きんぴらごぼう、牛肉時雨などの缶詰も命の水の次に大切な補給物質でした。I先生は、6本指の召使いを子分に仕立て上げ、欲しいものがあると、お小遣いを渡して買いに行かせていました。駐在3ヶ月位経ったころ、彼は徐々にパキスタンに馴染んできているように見えました。

(言葉じゃない、知恵だ!技術者魂に感動する)

 B品が発生する原因の大半は、機械が何かしらの理由でストップしてから再稼働する際に起こることはわかっていました。その原因は、オペレーターの誤操作によるものでした。私たちは、文字も言葉も通じない彼らに何度も何度も教え込もうしましたが、少しだけ前進はしたものの、B品率を大幅に下げることは出来ませんでした。

 I先生は、車で外出する際、看板や商店の名前が書かれているアラビア文字を理解できなかったそうです。しかし、信号機だけは日本と同じだなぁと感じていたそうです。私たちがアラビア文字を理解できないのと同様にオペレーターたちは数字も英語も理解出来ないのは仕方がないと考えていました。

 しかし、ある時に信号機を思い出し、現場に「赤・黄・青」はわかるかと質問すると、全員がわかると答えました。そこで、技術者の魂に火が付き、タオルのドビー織機の綜絖枠に色をつけ、ついに「赤・黄・青」だけで作った作業マニュアルを完成させました。全員がこの作業マニュアルを理解し、即座に作業を再開させたところ、B率は急速に低下していきました。紡績工場にとっても日本サイドにとっても朗報でした。そしてB品率はついに「0.2%」まで下がったのです。パキスタンプロジェクトは、稼働率が95%、B品率0.2%という驚くべき数字でフル稼働して行きました。

 (左からが二番目が筆者、中央が現場課長、右から二番目がI先生)

私は、I先生の技術者としてのプライドを見たのと同時に、諦めずに最終的には知識だけでなく知恵を駆使して難関を克服したこの素晴らしい瞬間にご一緒させていただいた幸運に、ただ感謝の気持ちでいっぱいでした。

「I先生は、タオル業界の本田宗一郎だ!」と私は叫びました。

タオルバカ一代(言葉じゃない!知恵だ!)⑪ 完

タオルバカ一代 (企画室 新業態MDに任命)⑫ へ続く)

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