(中国人のおもてなし、お食事に必ずセットされる白酒(パイチュウ))
中国の外注工場を訪れる際には、彼らは必ず食事に招待してくれます。お昼でも夜でも、時間に合わせて準備をして待っていてくれます。私が初めて外注工場を訪れたのは、上海の自社工場が建設中の時期で、その際に日本の大手量販店のカラータオル(組み物)を生産していました。
その大手量販店は、業界内で価格や品質、納期に非常に厳格であり、欠品すると理由によっては罰金を科すほど厳しく対応されます。そのような要求に対応できる工場はまだ多くは存在せず、我々サプライヤーは大変苦労していました。その要求に応えるためには、自ら新たなアプローチを模索し、自己教育を行うしかありませんでした。
こうした状況の中で、当時、上海空港から車で約3.5時間離れた江蘇省の南通という都市にあるD工場に注目しました。ここでは無地のタオルとプリントが主流で、品質もそこそこ良く、価格もリーズナブルでした。私は、パキスタンプロジェクトから本社に帰任後、直ちにこの工場を訪れ、前任者と引継ぎを行いました。
3色(ブルー、ピンク、ホワイト)のカラータオルの販売を行う際に、バスタオルは1枚組、フェイスタオルは2枚組、おしぼりタオルは3枚組のセットを提供します。それぞれのタオルには、バーコードを印刷した副資材を付ける必要があります。レジではPOSが働いて、売り上げ動向を瞬時に把握するシステムが導入されていましたので、間違いは許されません。ブルーのタオルにピンク用のバーコードをつけてしまえば、売上が正確に管理できなくなってしまいます。正しいバーコードが正確に各アイテムに割り当てられるように注意する必要があります。
商品識別が正確でなければ、売上の管理に誤りが生じる可能性があります。管理を間違いなくしてほしい旨を要求し、了承を得ます。工場の幹部は皆真面目で献身的な人たちばかりでしたので、その言葉を信じました。
仕事の後に夕食を取りながら、昼間に話したことが実行されるように要望し、白酒(パイ酎)で乾杯を繰り返しながら食事が進んでいきます。箸を置く暇もなく、連続で「乾杯!」「乾杯!」と声がかかります。白酒(パイ酎)を日本酒程度のお酒だと甘く見ていた私は、多少ながらお酒に強いほうだと思い込んでいました。だんだんと飲みすすめるうちに記憶がなくなってしまたんです。翌日気が付いたらホテルのベッドで熟睡していました。
中国の宴会では、お酒の飲み方が重要だと聞いおり、乾杯は社交の一環として大変重要視されことから、つい調子に乗って飲んでしまいました。中国の白酒はアルコール度数が高く、飲み慣れていないこともなり、記憶がふっ飛びました。今後は、控えめに飲むことが賢明だと悟りました。
初めての中国での乾杯は、かなりハードなものでした。
(日本でバーコード違いが発覚し、あわててD工場へ)
D工場とは人間関係も良好で、商品も予定通りに出荷され、販売も好調でした。POSデータを元に、在庫を3週間先まで予測し、工場に追加発注を行う仕組みを導入していました。そのとき、販売店から「バーコードが間違っている商品が見つかった」との情報が入りました。フェイスタオル2枚組の商品におしぼりタオル3組のバーコードが誤って付いていたのです。価格が異なるため見つかりましたが、これは大きな問題です。すべての在庫をチェックするよう指示されただけでなく、生産中の商品も点検するように指示があり、再び中国へ行き、チェック作業を行うことになりました。
原因を追究してみたところ、バーコードのミスは工場内の問題ではなく、納入している印刷会社のミスだとわかりました。つまり、印刷会社から納品されたフェイスタオルの山の中に、おしぼりタオルのバーコードが混入されていたのです。工場側は、徹底した管理を約束してくれていたものの、その点までは把握できていませんでした。
原因が明らかになったので、今後の対応策について話し合いました。資材メーカーに対して厳格な管理を行い、万が一ミスがあった場合は罰金を課す方針を確認しました。しかし、私は以前の経験から、この管理では不十分で他人のミスによる混入の可能性が依然として残ると指摘しました。D工場において、責任を果たすための唯一確実な方法は、D工場の仕入れ担当者が入荷したバーコードを全てチェックすることであることだと伝えました。しかし、印刷タグの検品は彼ら自身の責任ではないとして、納得を得ることができませんでした。そのため、結論を出す前に夕食の時間となってしまいました
帰国が明日だったので、思い切って乾杯してお願いするしかないと思いつき、食事の間ずっと乾杯を求めてみました。その時は気合で意識を失うこともなく、無事食事を終えて自力でホテルに戻りました。
翌朝、出発前に少し時間を取ってもらい。昨日の話しの続きをしたところ、D工場にて全数検品することに了解を得ました。乾杯を繰り返したおかげで、わかってくれたんです!私は本当に喜びました。その後、この工場では、同様のミスは一度も発生しませんでした。
通訳がいらない乾杯には、心と心のコミュニケーションがあったように感じました。
(年2回の展示用サンプルをすべて自社工場で完成させる)
次は、上海の自社工場についてです。この工場は百貨店向けの商品を主に生産しており、年に2回の展示会でサンプルを出品し、全国の百貨店のバイヤーから評価を受け、次のシーズンの生産に活かしていました。最初は外注工場の支援を受けて展示会に出品していましたが、工場の成長を実感したため、ある時点で全てのサンプルを他の工場の支援を借りずに出品することを宣言し、実行しました。
商品は単にサンプルを作って出品するだけではなく、ライセンス契約が大半を占めていたため、出品前にはすべての商品に対してライセンサー(版元)からの承認を得る必要がありました。ライセンサーの承認が得られないと、出品ができず、次のシーズンの売上に大きな影響を及ぼす可能性があり、そのため失敗は許されない環境で行動しました。
商品の柄や詳細は覚えていませんが、おそらく数百のSKUを制作したと記憶しています。全てのライセンサーからの承認を得て、本社にサンプルを出荷できた時の喜びは言葉では表現しきれませんでした。作成したサンプルが展示会でどのように扱われるのかを見たいという要望に応えて、頑張ってくれたスタッフをいつもより多く連れて東京に出張しました。
(心と心が通じた乾杯のあと、次の朝の笑顔と挨拶)
展示会は大成功でした。同行したスタッフも皆喜んで、胸を張って上海へ戻りました。本格的な生産開始の前に、出張に行けなかったメンバーも招き、ミーティングを実施しました。夜には、社員食堂での打ち上げを行おう!という声が上がり、会議を早めに切り上げて宴会が開かれました。各工程から総勢50人位が集まり、白酒だけは禁止した!大宴会が始まりました。
宴会が始まると、私たち日本人の前に乾杯待ちの列ができました。私はサンプル作成の責任者だったためか、私の列にたくさんの人が並んでいました。一人一人と目と目を合わせて、感謝の乾杯をしようと決め、最初の人と乾杯をしたところ、乾杯は3杯と言われました。
その指示に従い3杯飲むと、次の人も次の人も3杯、さらに次の人も3杯ずつ乾杯を繰り返していきました。正確には覚えていませんが、12~3人目の人と3杯乾杯した瞬間、私はダウンしてしまったようです。
お酒は白酒ではなく紹興酒で、大きなお茶碗ほどの器で乾杯をしていました。宴会が始まってから15分ほどでノックアウトされ、ゲストハウスの部屋に運ばれて、もうろうとした状態から戻ったそうです。正直、全く記憶にありませんでした。
翌朝、頭が痛く、ゲストハウスから事務所に向かう途中で、いつものように工場内でたくさんのスタッフとすれ違いましたが、何かが違っているような気がしました。これまでは「早上好」(おはようございます)という中国語を略して「ザオ」と声をかけていましたが、返事は小さな声でした。しかし、今朝は数人がニコニコしながら向こうから「ザオ!」と挨拶してくれています。その中には、昨日食堂でカンパ―イをした人たちもいました。私は昨夜、乾杯して開始早々30分でリタイヤしてしまっていたので、その反応にはびっくりしました。
通訳を介さず、スタッフと直接会話することは、乾杯を通じて初めてだったのかもしれません。事務所に入ると、ますます声が響いてきて、「ザオ!」「ザオ!」「ザオ!」と多くのスタッフに挨拶されました。
組織の管理は厳格に行うことも重要ですが、お互いの思いが通じ合う仲間であることの大切さを学びました。その後の業務は円滑に進み、むずかしい書類による指示は少なくなっていきました。私たちの指示は口頭で行われることも増え、現場はその程度の指示でもしっかりと管理できるようになっていきました。
お酒を飲める身体をいただいた両親への感謝とともに、人間同士のつながりが目に見える「氷山の上」だけでなく、心や想い、そして信頼といった目に見えない部分も含めた氷山の下のつながりの大切さを感じることができました。みんなの心のコップが上を向いた瞬間だと思いました。
※注 「氷山の下」「心のコップを上」の表現は、私の心のメンターである原田隆史先生のYUTUBE「朝刊原田先生」のクレド「#069 氷山の下を見るそして交流」「#20 心のコップを上に向ける」より許可をいただき引用致しました。是非、真の意味をリンクよりご欄下さい。
乾杯のコミュニケーション手法は、中国の外注工場開拓に活用するようになっていきました。人との結びつきや信頼を築くための素晴らしい手段となりました。言葉よりも、そのような積極的なコミュニケーションが、良好な関係の構築や円滑な業務遂行に役立ちました。
(貨幣価値は7倍 中国人との付き合い方PART2)
工場が一息ついたころの為替レートは、1万円を両替すると660元位だったでしょうか、1元あたり約15円でした。街では、非常にリーズナブルな価格で商品が豊富に売られており、ついつい買いすぎてしまうことがありました。特にアメリカのスポーツブランドのマーク(コピー品)がついたスポーツウェアや帽子、靴などは、どこでも手ごろな価格で手に入れることができました。
店員に値段を尋ねると、必ずと言っていいほど100元程度から価格交渉が始まりました。100元は約1500円ですから、やや高く感じましたが、我々日本人の感覚としては許容範囲でした。しかし、実際の為替レートで換算する価格と、中国の価値観とは大きなギャップがあることを教えられました。その差は実際の価格の7倍だったのです。
つまり100元は、為替換算すると1500円ですが、中国人の感覚は7倍の約1万円に相当するんです。1500円ぐらい、まぁしょうがないかなと思って購入してしまうと1万円相当の帽子を買わされることになり、完全に相手に負けてしまいます。でも、半額に値切って50元としても、750円×7=約5000円ですから、それでも高いですよね?
そうした際の交渉術は、大胆に10元と提示し、相手の反応を見るのです。相手にとっては、10元(150円)×7倍=700円になりますので、許容範囲内かもしれないと期待しつつその場は賭けに出ます。たいてい店主の反応は、10元はダメだけど20元でどうだ?と返答してきます。すでにその時点で価格は、交渉によって言い値の1/5になっているわけです。
その値段なら興味はないと、帰るふりをすると、店主はさらに中間をとって15元でどうだ!と言ってきます。だいたい、それが妥結点になります。最終は、言い値の85%引き、15元で私はお気に入りの帽子を買います。15元は、レートで換算すると225円ですが、7倍すると1575円ですので、店員は1500円で帽子を売った感覚で全く問題ないわけです。一体、最初の言い値はなんだったのでしょうか?笑っちゃいます。
お店でこの価格交渉術を学び、それを外注のタオル工場で活用しました。交渉が妥結しないと、何度帰るふりをした事か!(笑い)
結局、経験は学びですね。ただ、これは現地に身を置いてこそ習得できるスキルだったと思います。
タオルバカ一代(乾杯こそ心と心の会話)⑮ 完
(中国での高級タオル作りが本格的に開始⑯ へ続く)