(契約する世界のライセンスの生産許諾を得る)
当時の日本のタオル市場では、贈答品としての「ブランド」のタオルが、百貨店の特別な包装紙に包まれ、贈り物として喜ばれる独自のマーケットを形成していました。世界でも珍しいこのスタイルは、今では考えられないほど、有名ブランドのタオルが百貨店の売り場で主流となっていました。
この工場は、契約する全てのブランドの生産許諾を取得しており、製造が不可能なものはありませんでした。しかし、中国での製造を好まないライセンサーも多く、彼らの主な懸念は、中国での生産がブランドに損傷を与える可能性があることでした。品質の安定性や再現性はもちろんのこと、従業員の安全性、残業代の支払い、若年者の労働など、工場の運営に関する点も厳格にチェックされました。
自社工場で一貫して生産することは、安心と安全を守るために極めて重要な要素でした。幸いにも、私たちの工場の責任者である副総経理のH氏は日本でライセンスMDを担当していた経歴を持っており、ライセンサーからの要求事項に精通していました。そのため、工場はライセンサーの要求事項を遵守するだけでなく、管理レベルを一段階高く保つよう努めました。
(安心、安全であることが第一条件)
有名なライセンスタオルの製造許諾を取得するためには、安心と安全が極めて重要でした。この安心と安全は、誰のために必要でしょうか?もちろん、製品を購入してくださるお客様にとって最優先事項です。そのため、ライセンサーはこの点について非常に厳格な管理を行っていました。
その頃、繊維製品で最も深刻なリスクとされていたのは、商品内に「針」が混入することでした。この問題は、製品のリコールが頻繁に行われ、新聞広告に掲載されるほど社会問題となっていました。おそらく、海外工場での生産において、コストを優先し、リスク管理を怠った結果、このような事態が発生したのだと考えられます。
自社工場でそのような問題が発生した場合、得た生産許諾は取り消されるリスクだけでなく、長年築いてきた信頼も失われる可能性があります。そのため、工場の管理はますます厳しくなりました。工場は、万全の対策を講じ、最も信頼できる安全性の高いタオル工場となるべく努力を続けました。
(細かな資材まで徹底した管理)
タオルには、ヘム部分に縫い付けられる「タグ」と呼ばれるラベルが必ず付きます。このタグは、タオルの信頼性や安全性を示すものとして位置づけられており、日本でのタオル販売においては、製造者責任会社名、住所または電話番号、原産国を表示することが義務付けられていました。
ブランドタオルの場合、ネームを2枚折りにして、表にはブランド名を表示し、契約に基づいて生産していることを明記し、裏には製造者責任者名や原産国を表記しました。このように自社工場で製造したことを明示することは、お客様に安心感と安全性を伝える役割を果たしていました。
おそらくタグの種類は1000種類を超えていたのではないでしょうか?鍵付きの専用部屋を作って、1枚たりとも在庫が狂わないよう、入出庫を厳密に管理していました。私たち日本人の入室も認められないほど厳格な管理が行われていました。外部からはあまり目立たない部署でしたが、そこでは一人一人の現場の社員が大切な仕事を責任を持って遂行していたことが素晴らしいと思いました。
(厳しすぎてたまったB品数の多さ)
検品員の教育は、言ってみれば商品を最終的に合格させる関所として重要な場でした。日本人の責任者であるH氏が現場で厳格な指導を行い、検品員のレベルを向上させていましたが、24時間常に立ち会うことはできないことに悩んでいました。
現場を離れる際、品質管理の規則を徹底するために、生産部から独立した品質管理部を設け、追加の検品を導入しました。中国人が中国人を管理していくと、容赦しません。見落としのないよう厳格な基準を設定しましたが、それに伴い判定が益々厳しくなり、B品の数が増加しました。その後、B品の分類を細かく行い、日本人が立ち会いながら基準を何度も見直し、正確な判断ができるよう取り組みました。
(スポーツブランドNタオルが生産出来る、世界のたった3つの内の一つの工場)
世界最大級のスポーツブランドのタオルを生産するためには、許諾を得るには非常に高いハードルがありました。当時、このブランドタオルを生産できる工場は弊社のタイの工場と、ヨーロッパにある他社の工場の2つしかありませんでした。その3つ目の工場の許諾申請をし、厳しい条件をクリアして世界で3番目の工場として認可されました。このライセンサーからの工場監査は、私たちが経験した中でも最も厳しいものでした。従業員の安全を最優先に考え、階段の手すりの形状についても指摘を受けました。ライセンス契約の中でもトップクラスのロイヤリティ契約でしたので、無事に検査に合格した際は感動的な瞬間でした。
このブランドは、業態を問わず、どこのお客様も無条件で採用いただけるスーパーブランドでした。ライセンサーからも、「一体どこでこんな数量を売るの?」と驚かれるほどでした。
当時のタオルの売上の主力は贈答品であり、ギフトとしての需要が非常に高く、特に快気祝いに使用されるケースが多かったと記憶しています。営業部隊にとっては大きな収益源でした。このブランドのタオルは、全国での売上が急上昇し、どの営業マンであっても大きな成功を収めました。このようなありがたいブランドは過去にも先にも存在しなかったと思います。その生産拠点となれたことは、本社に大きな利益をもたらしました。
(自社工場だから出来る、多品種・小ロット)
生産工場は、少ない種類で多くの数量を生産することで生産効率を上げたいと考えています。中国の外注工場は、品質の向上と価格のリーズナブルさが確かに見られますが、各工場には最低ロット(MOQ)が設定されており、小規模なロットの生産は受け付けられませんでした。
本社の重要な取引先は、百貨店であり、全国各地の店舗では採用される商品が地域によって異なる傾向がありました。特に同じエリア内で競争する店舗は、差別化やオリジナリティを追求するため、商品の多様化が避けられない傾向にありました。
一般的には、各テクニックによって最小発注数量(MOQ)は異なりますが、最小ロットの基準には規則がありました。例えば、先染めのタオルの場合、織りで3,000枚、染色で4,000枚、刺繍で2,000枚が必要とされる場合、MOQはその工程の中で最も多い染色の4,000枚となります。また、プリントの場合は、織りで3,000枚、プリントで3,500枚、刺繍で2,500枚が求められる場合、プリントのタオルのMOQは3500枚になります。つまり、各工程で最も多く必要とされる数量がMOQとなります。小ロットの生産は効率を下げることになりますが、自社工場として避けて通れない課題でした。
タオルは、機械の設定上、長さは比較的簡単に調整できますが、幅を調整するのは難しいことがありました。機械を止めて調整しなければならず、ものによっては長時間生産が止まってしまうのです。効率を下げずに課題を解決するためには、機械の設定状況を考慮しながら工場と本社で情報を共有することが肝要でした。本社のT氏は、毎月2週間出張して工場に滞在し、本社の厳しい要求に頭を悩ませつつも、現場の担当者と協議し、知恵を結集して業務を遂行していました。
T氏は中国のスタッフから尊敬される存在で、彼の説明や提案には大きな信頼が寄せられていました。その風貌は中国の歴史上の人物を思わせるものがあり、人柄は彼自身の個性であり、彼のリーダーシップはチームの共感を得ていました。素晴らしいことに、彼の能力が評価され、やがて工場に常駐し、そして副総経理に昇進したのです。キャリアが着実に成長していったことは、彼の実力が認められた証拠でした。
自社工場の運営によって、納期管理や在庫管理の観点から、アイテムの絞り込みは極めて重要な課題となり、さらに新たな課題が浮かび上がっていくことが分かりました。日本の外注工場が黙々と文句を言わずに生産してくれたことに感謝するきっかけとなりました。
(税関長あてに契約書の写しを提出)
タオルはコンテナに積まれ、日本へ輸送されます。輸出と輸入の両方に通関手続きがあり、税関に対して契約ブランドの全ての契約書を提出し、商品が本物であることを証明しました。弊社は物流業者である乙仲を通じて税関に提出します。我々の分厚いカタログを提出すると、税関関係者はライセンスブランドの契約数とアイテムの多さに驚かれました。
生産する商品の中には、納期が決まっているものも多くあります。このため、通関手続きにおいてスムーズに進め、納期遅延を避けるよう配慮しました。年間数百本にも及ぶコンテナが日本へ輸出され、その規模は毎年物流会社のコンペを行うほどのレベルに達しました。
品質管理のレベルが向上し安定した頃、当時日本で行っていたギフト加工を工場内で行う案が浮上しました。
箱入りのギフト商品が本格稼働すると、その数量が増えるため、コンテナ数は2倍から3倍に増加します。それでも、中国での加工を通じてトータルでコストを削減できるかについて議論が始まりました。
(新しい事への挑戦)
工場が順調に稼働すると、新たな挑戦が次々と訪れました。利点と欠点を比較し、デメリットを理解しながら前進する手法に、身体が段々と慣れ、適応していくことができました。前向きな気持ちが強くなったような気になったのは、工場の仲間が増えてきたからと感じました。私達には、仲間という最強のパートナーがたくさん誕生していました。
PDCA(Plan Do Check Action)のサイクルだと個々が苦しくなることがわかり、今考えてみると、PCDSS(Plan Check Do See Shea)に変えて行動していました。大きな違いは、情報や方向性を共有しながら行動することで、一人では成し遂げられないことを実感し、チームワークの重要性を認識しました。個々の力だけではなく、共同作業が目標達成に有効であることを痛感した取り組みでした。
※注 「PCDSS」の表現は、私の心のメンターである原田隆史先生のYUTUBE「朝刊原田先生」のクレド「#191 私を育て、未来を拓く PCDSSサイクル」より許可をいただき、引用致しました。是非、真の意味をリンクよりご賞味下さい。
最初は伴走しないと不安だったメンバーが、段階を踏んで少しずつ成長し、積み重ねた努力の結果、仲間としての絆を築けたことにとても感動しました。
このような幸せな瞬間が、新たな挑戦に向けて私達に勇気を与えてくれました。
中国での高級タオル作りが本格的に開始⑯ 完