(尖閣諸島問題で日本製品がボイコットされる)
尖閣諸島を巡る領有権問題が政治的な緊張を引き起こし、日中関係に影響を与えました。当時の日本の総理大臣が中国の国家主席を国際会議場で無視したことで、中国側が面子を傷つけられたとして反日キャンペーンが拡大しました。このような背景から、日本製品や日本企業に対する友好的な雰囲気と並行して、政治問題が日中関係に影響を与える事態が生じました。
青島のイオンが破壊され、日本の自動車ディーラーの車両も燃やされ、市民は反日感情に沸き立ちました。我々のオフィス近くの日本領事館では、40フィートコンテナが積み上げられ、バリケードが築かれました。デモには何万人もの市民が参加し、生卵が領事館に向けて投げられるなどの激しい行動が報道されました。噂によれば、お小遣いをもらってデモに参加した市民もいたとされます。ボイコットの動きは全国に広がり、日本製品に対する反感が高まりました。一方で、実際には日本製品の品質に対する理解が進んでいた中での出来事であり、このボイコットの激しさは予測できないものでした。
社用車で通勤していたため、体に危害を受ける心配はなかったものの、街中で不用意に日本語を話さないように気を付け、不必要な外出を控えるようにしました。それまで賑やかだったオフィスも閑散となっていきます。日本の要人の行動や態度に端を発したことによるこの対立は、その配慮不足を強く感じていました。
中国人の日本製品へのリスペクトを信じていたため、時間が経てば回復すると期待して我慢するしかありませんでした。オフィスは一時的に開店休業の状態が続きました。
(上海より地方の方が反日感情は高まっていた)
タイミングが悪く、上海嘉定区の推薦で広東省東莞で行われる中国加工貿易産品博覧会に出展することになりました。当初36m2のブースを申し込んだが、実際には54m2に拡張され、嘉定区の注力が伺えました。ブースでは「上海ガール」というブランドを全面に出し、上海をアピールし、来場予定の上海商務局や全国の主任らの目を引く展示を展開します。
展示会が進行中に全国で反日デモが拡大する情報が入り、ブースから「TOKYO JAPAN」の看板を外し、配慮を怠らないようにしました。上海商務局の来場時には、日本語の使用にも慎重になり、結局、日本人は立ち会わないことになり、ホテルの戻るという緊急事態でした。テレビカメラも入り、商品説明は上海のスタッフが担当し、無事に終えました。
(上海ガールというブランド)
このキャラクターは、上海で開催された万博で知り合ったS氏が経営するSCLA社が立ち上げたブランドで、私たちはその発展に貢献し、パートナーシップを結び商品開発を進めていました。中国の文化芸術を象徴するために開発されたこのキャラクターの商品は、私たちの高品質な製造技術とプラス百貨店での販売網を活かし、新しいギフトとしての可能性を追求して、新しいブランドとして成長を目指しました。
年2回開催する展示会で、お土産品として展示会に来場したお客様に配布し、知名度向上に努めています。その中で、日本を代表する大手ホテルチェーン「O」が運営する、上海の5つ星ホテル「H飯店」の1Fショップにて、展開が決まり、売場を設営しました。上海を訪れる日本人が増えている中、食べ物以外のお土産として上海を代表する商品として位置づけ、大きなスペースを確保して販売を開始しました。販売は順調に拡大し、全国の百貨店にも展開されていきました。
(BU別の壁、サブライセンス商売の可能性)
SCLA社と契約した日本のキャラクターを全国ネットで販売する機会を模索しましたが、自社での展開には多額のコストがかかり、大手量販店への参入も難しいことが判明しました。取引条件も厳しく、シミュレーションの結果、自社での独立した参入は厳しいと判断しました。
SCLA社のS氏に相談し、中国の商売のルートには専業が多いため、良きパートナーを見つけてサブライセンスの権利を利用するアイデアを得ました。特に各キャラクターのサブライセンスを使った商売は、WEBに次ぐ第二の柱になり得る可能性を感じました。取引先のタオル工場は全国の量販店と提携しており、これを活かしてキャラクタータオルを導入する提案を試みました。
意外にも、最初に興味を示したのはタオルではなく、寧波にあるマット工場「H」でした。彼らは中国一の規模を誇るマット工場で信頼できるパートナーでした。すぐに契約を結び、小規模な試験販売を実施しました。ロイヤリティの管理は、ミニマムギャランティ分を証紙で提供してスタートしました。売上の予測が難しく、”桜桃小丸子”と”奥特曼”の2柄で契約を開始しましたが、彼らの販売を管理する難しさを実感します。
日本での多くのライセンス契約経験から、文化の違いや中国の管理慣れの不足を考慮し、同じアプローチを採用するのは難しいと判断しました。中国では売れた分だけ後払いでロイヤリティを支払う文化や商習慣がないことが明らかでした。商品の取引でも前金が必要な場合が多く、年間売上予想額をミニマムギャランティに設定し、その額を毎年更新する方法が最適と考え直しました。
(本命のタオル工場と商談する)
タオルについては、中国最大の国内販売を誇る山東省の「F」工場に提案しました。当初は自社のUブランドのサブライセンスを含めた提案でしたが、高額なミニマムギャランティを理由に断られてしまいました。タオル工場への提案金額は、マット工場に提示した価格の約10倍で、一定の興味を示されましたが、売り上げ実績がないためにこの高額なミニマムローヤリティの支払いが難しいとのことでした。現在振り返ってみると、相手をもう少し信頼して交渉を進めるべきだったかもしれませんが、管理が難しいという前提があったため、金額の引き下げは難しかったのです。
もう一つの取引先である大手タオル工場に相談したところ、興味を示す企業を紹介され、商談を行いました。その企業は、中堅の問屋として機能し、量販店や地方の店舗を主な取引相手としていました。設定したミニマムは全額前金での支払いで合意し、広州にあるその企業の本社を訪問しましたが、私はなぜだか乗り気になりませんでした。上海に戻り、ライセンサーのS氏に相談して企業を詳しく調査してもらったところ、契約には適さない企業だと分かり、サイン寸前まで進んでいた契約を中止しました。中止を勧告するミーティングもSCLA社本社で行い、ギリギリで事なきを得ました。ライセンス契約についてのプロであるS氏からの貴重なアドバイスのおかげでした。
(中国の商標登録)
中国では商標登録が盛んに行われ、日本の有名な「今治タオル」が中国の企業によって商標登録されていることが判明しました。これは、意図的に有名な商品を見つけ、次々と中国国内で商標登録されている事例でした。国家知的財産権局に登録申請し、受理された後に審査と公告が行われ、意義申し立てがなければ、公告されてから数ヶ月で商標登録が許可されます。当時、多くの日本企業が中国市場進出を目指していたため、自社のブランドを調査してみると、すでに中国で登録されているという事例が相次いでいました。そのまま販売すると違法とされ、摘発されて多額の賠償金が請求される可能性がありました。今治市も中国での販売を検討中にこの問題を発見し、慌てて知的財産局に意義申し立てを行いましたが、中国企業の商標権の取り消しまでには数年を要しました。
中国国内の商標権管理においては、SCLA社との顧問契約を通じて、本社の法務部と協力して管理を行っていきました。ある時、本社が所有する商標の中で、中国企業によって妨害目的で取得されたことが判明しました。この問題に対処するためSCLA社の指導に従い、まずは実情を把握し、中国企業の登録前に商標が使用されていた実績を証明する情報を集めました。通常、商標登録の取り消しには数年かかることが一般的でしたが、北京の知的財産局に対して意義申し立てを行い、SCLA社の尽力により数ヶ月で商標権を取り戻すことを実現してくれました。
SCLA社は多くのライセンスを所有しており、市場で不正な商品を発見すると、偽物を作っている工場へGメンを派遣し、数ヶ月かけて証拠を収集して摘発する活動を行っていました。裁判になった場合は、有利に裁判を進めるための訴訟戦略も持ち合わせていました。
S氏は強力な個性を持っており、時には日本人との関係がうまくいかないこともありました。中国人はビジネスの顔と家族の顔を2つ持つと言われています。家族に対する深い愛情を持ち、命をかけて守ります、一方ビジネスでは合理的に物事を考え、商売の為には手段を選びません。私は、S氏から家族への支援に似たサポートを受けたと感じており、幸運だったと思います。この機会を通じて感謝の意を伝えたいと思います。
(販売会社へ独立する)
工場の販売部門だった我々営業部は、将来の上場を夢見ながら、販売会社として独立しました。総経理のスーさんが国税局出身だったため、資本金の手続きなども含めて、新会社の設立は順調に進みました。
新会社の総経理には、第一統括部長のI氏が任命され、財務と人事を担当しました。私は取締役の第2統括部長として、企画、生産、物流を担当することになりました。後にわかることですが、総経理が握る財務と人事の重要性が浮き彫りになりました。
新会社への移行では、工場の倉庫から営業倉庫への全在庫移動が大きなイベントでした。販売と物流のシステムは本社の支援を受けて構築され、日系の倉庫会社と契約して商品を移動し、新会社の立ち上げが実現しました。連日朝礼で倉庫のシステムに関する問題が報告されましたが、都度改善して何とか軌道に乗せていきました。
新会社の名前はU貿易有限公司となり、事務所の規模は2倍に拡張され、スタッフ全員がやる気に満ちたスタートを切りました。
(モチベーションアップの為の給与システムを考える)
販売会社として独立したことで、総経理が財務の数字を細かく見るようになりました。利益管理は経営において極めて重要であり、全社員のモチベーションを高めるためには、給与体系を真剣に検討する必要があります。日本的な仕組みは排除し、より適切な仕組みを導入することが大切だと認識しました。
中国のお正月、特に大晦日には、家族が集まり一緒に過ごすことが伝統的です。親戚や家族が集まるため、お土産やお年玉の準備が欠かせません。春節休暇前のボーナスは、1年間の労働の締めくくりとして非常に重要であり、モチベーションに大きな影響を与えます。そのため、給与体系を見直し、特にボーナスの部分を充実させることで、社員の満足度やモチベーションを高めることが重要でした。給与体系の整備は、工場から独立することでより効果的に行うことができました。以前の工場の販売部門では、販売と工場の給与体系を十分に分けることが難しかったため、この改善は歓迎されました。
もう一つの問題になったのは、私の給料でした。日本の執行役員から上海に赴任してきた為に現地採用だった総経理より給与が数段高かったのです。勤続年数も会社への貢献度も違うという観点で、それを割り切って受け入れていましたが、そこにメスを入れようと画策され、総経理との信頼関係が揺らいでいきます。やがて帰任するまでに発展していきました。
(続く)
タオルバカ1代㉗ (厳しさと優しを併せ持つ中国人)完
タオルバカ1代㉘ (日本へ帰任そして退職) へ続く